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昭和天皇 北海道巡幸を繰り返し強く希望 「拝謁記」記述
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昭和天皇 北海道巡幸を繰り返し強く希望 「拝謁記」記述

2019年09月10日 19:49:50 投稿者:thomasina30  再生:162|コメント:0|マイリスト:0

2019年9月6日 6時29分 昭和天皇との対話を初代宮内庁長官が記した「拝謁記」の記述から、昭和天皇が戦後の占領期に国民を直接励ますために行った「戦後巡幸」をめぐるやり取りが明らかになりました。昭和天皇は占領期に当時の日本の施政権下では唯一、北海道を訪問していませんでしたが、朝鮮戦争の勃発後も「私が行けば北海道を何かの時見捨てぬといふ証拠二なる」などと、繰り返し北海道への訪問を強く希望していたことがわかりました。昭和天皇は終戦の翌年から全国各地への巡幸を重ね、このころ宮内庁長官を務めていた田島道治が昭和天皇との対話を詳細に記録した「拝謁記」には、このうち北海道への巡幸についての記述が頻繁に登場します。昭和24年7月の拝謁では、東西冷戦の激化を背景に左翼運動が活発化し、治安が危ぶまれる北海道への訪問に慎重な田島長官に対し、昭和天皇が「慎重論モ尤モダガ積極的ニ多少ノ危険ヲ冒シテ出掛ケル方ガ却テ国ノ為ニヨイトイフコトモ考ヘラレル」などと述べたと記されています。昭和25年6月には朝鮮戦争が勃発し、情勢はさらに厳しくなりますが、昭和天皇は翌日の拝謁で(昭和25年6月26日)「北海道は朝鮮の問題ともニらみあはせて早い方がよいと思ふので七月ニ行つてはどうか」と述べ、むしろ訪問を急ぐべきだという考えを示したと記されています。その後、連合国軍総司令部のマッカーサー最高司令官の意向を受けて訪問は先延ばしになりますが、昭和天皇は未訪問の地が残り少なくなる中、北海道訪問に積極的な姿勢を示し続けました。昭和26年10月の拝謁では、ソ連の脅威を理由に慎重な姿勢を崩さない田島長官に対し、「私が行けば北海道を何かの時見捨てぬといふ証拠ニなりアメリカニもよいし、道民ニも不安の念を去るに役立つと思ふ故 私ハいつた方が良いと思ふ」と述べたと記されています。しかし、治安当局者や田島長官だけでなく当時の吉田茂総理大臣も慎重な姿勢を崩さず、独立回復前の北海道訪問は見送られ、独立の2年後の昭和29年夏にようやく実現しました。戦後巡幸に詳しく、「拝謁記」の分析にも加わった成城大学の瀬畑源非常勤講師は「占領期に北海道に行けなかったのは治安の問題や朝鮮戦争が理由だということはわかっていたが、『拝謁記』で、朝鮮戦争勃発後も昭和天皇が北海道行きを希望し続けていたことがわかった。昭和天皇は北海道を防衛する意味で訪問したいと述べていて、戦後巡幸の政治的な効果について極めて自覚的だったことがわかる」と話しています。

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